『第259話』 免疫を利用し細菌毒素治療
自分自身の体験がきっかけとなって、医療の世界に携わることになった人は多い。
友人は昭和38年、8歳の時に法定伝染病のジフテリアにかかった。白い偽膜が張り付いた咽(いん)頭ははれ、食欲はまったくなく、高熱のためにもうろうとした中でジュースだけをやっと含んでいた。窓に鉄格子の入った伝染病隔離病棟に隔離された。主治医の説明に「死んでしまう、何とか助けてほしい」と嗚咽(おえつ)する母親の声が病室まで聞こえた。
真夜中に病室のドアが開き、ももに太い注射針を打たれ点滴が始まった。これは大変痛かったのでよく覚えているそうだ。これがジフテリアウマ抗毒素血清だった。
後日母親から、主治医がその日のうちに神奈川県相模原市にあった病院から東京芝白金にある北里研究所まで車を走らせ、ジフテリアウマ抗毒素血清を受け取りにいったことを聞かされた。これが北里柴三郎を知り、微生物学を専攻するきっかけになったという。
病原微生物による病気の原因はその細菌が産生する毒素だ。19世紀後半には伝染病の治療薬はまったくなかった。最初の化学療法剤サルバルサンが治療に使われたのは1910年のことだ。
北里はドイツ留学中に、破傷風の毒素を少量ずつ繰り返し投与することで動物がその毒素に対する免疫を獲得し、免疫した動物の血清をほかの動物に移入することで破傷風の治療が行えることを発見。同僚のベーリングもジフテリア毒素で同様のことを行い、1890年、連名で血清療法に関する論文を発表した。
抗毒素血清は動物の防御機能を応用して作る薬といえる。例えば大腸菌O157にり患し、完治した人の血清を使ってベロ抗毒素血清を作ることが考えられる。これは細菌毒素に対する根本治療法になり得る。高価な抗毒素血清はほとんど使われず、有効期限が切れて廃棄されることが多い。このためオーファンドラッグ(希少疾病用医薬品)として現在は国の管理下に置かれている。