『第274話』 浜口首相狙撃で輸血知れわたる

古代ヘブライ人は血液に生命が宿ると考えていた。欧米では、献血を推進する標語に「血は命」という言葉がよく使われる。生命維持に果たす血液の役割を端的に表した言葉だ。

血液循環を発見したのはイギリスのハーベイで、1628年のことだ。初めての輸血実験は犬を使って、イギリスのローワーが1665年に行っている、人間への輸血は、初期には羊や子牛の血液なども使われた。現在では到底考えられない治療が行われていた。

日本で最初の輸血は大正(1919)年2月、九州帝国大学で膿胸手術後の患者に行われた。輸血治療が広く社会に知られるきっかけとなったのは昭和5(1930)年11月4日、浜口雄幸首相が右翼に狙撃された事件だ。これが原因で翌年死亡したが、輸血を受けて一時、命を取り留めたことが大きく報道されたのだった。

このころの輸血は「まくら元輸血」といって、供血者を患者の隣に寝かせ、採血した血液をすぐに患者に注射するというものだった。また、血液の確保はそのほとんどが売(買)血によるもので、昭和38(1963)年には98%を占めていた。

常習売血者の血液は赤血球の数が少ない「黄色い血」になってしまう。売血は倫理的な問題のほか、梅毒や肝炎などへの感染事故とさまざまな問題を生んだ。

こうした中で、翌39年3月、親日家のライシャワー駐日米大使が少年に刺され、輸血を行い血清肝炎に感染するという事件が起きる。

輸血によって「私も日本人になった」と喜んだという後日談が残っているが、これが発端となって売血追放、献血推進が叫ばれ、同年11月に献血推進対策要網がまとまる。翌40年8月には献血の推進が閣議決定された。

医薬品の中でも血液は特殊な存在だ。人から採血した血液を製剤化し、保存して医薬品とする。

血液製剤をめぐってはエイズなどさまざまな問題解決が取り残されている。献血事業自体が閣議決定であり、法律として制度化されたものではない。

献血制度を含め、血液製剤に関する一連の法律を整備することが必要だ。