『第363話』 体の不安から吐き気も
乗り物酔いや悪酔いなど、気分の悪いとき私たちは吐き気をもよおす。
腐敗した食品や有毒な物質などが体に取り込まれるときも、強い吐き気となってそれらを体の外に排斥しようとする。嘔吐(おうと)は生物が持っている一つの生体防御反応だ。
乗り物に乗っていて気持ちが悪くなるのは、耳の内部にある三半規管を中心とする前庭部というところが関係している。耳には、脳に音を伝えるだけでなく、体の平衡を保つという重要な仕事がある。
耳の前庭部にはリンパ液を満たした袋があって、体が揺さぶられるとタップタップと波打ってくる。耳の奥には迷走神経の枝が分布していて、この刺激で迷走神経が興奮し、頭の位置が重力の方向からずれていることを脳に知らせる。脳はすぐさま首の筋肉に頭を元の位置に戻すよう命令を出し、それが無意識の運動となって体は常に平衡を保っている。
しかし、揺れが長時間にわたったり、激しかったりすると、迷走神経の興奮が脳の嘔吐中枢にも伝えられて吐き気が生じてくる。のどの奥に指を突っ込んで食べ物を吐き出す人がいるが、これものどにある迷走神経が刺激を受けるからだ。
また、嘔吐中枢は化学物質にも感受性が高く、体に有害な物質が体内に入ると、無条件で吐き気が起こる。
抗がん剤のシスプラチンという薬剤を使用すると、小腸粘膜からセロトニンという物質が放出され、これが腹部迷走神経の受容体に結合して激しい嘔吐が起きる。このセロトニンの働きをブロックする薬が近年ようやく開発され、多くの患者さんが嘔吐の苦しみから解放された。
嘔吐は、心の働きによって大脳皮質から直接嘔吐中枢を刺激することでも起こる。例えば、食中毒の際、原因となった食品を食べなかった人まで嘔吐したり、路上で吐く人を見ると、自分も急に吐きたくなったりする。このように不快感や体の不安などから吐き気が生じてくる場合もある。
嘔吐の原因を特定して、取り除くことが難しい場合もあるが、制吐剤の使用はあくまで対症療法だ。