『第387話』 春の野草と加薬飯

三内丸山遺跡からはクリが出土し、またクリの巨木も発掘された。縄文時代のころから人々はクリの実は食用に、その木は建築用に利用していたことが分かっている。

出土したクリのD

配列を調べると、縄文時代の人々は大きく味の良い種類を選択的に植えていたらしく、これには驚くばかりだ。

古代にはクリのほか、クルミ、カヤの実、トチの実などがビタミンAやカルシウムを補う食材として、重要な食べ物だった。

奈良時代の食事を再現すると、白米は貴族の食べ物で、庶民が口にしたのは玄米またはアワ、キビといった雑穀だ。これにクルミ、トチの実、ヨモギなど野草の若芽を入れた加薬飯がいつもの食事だった。

実はこれがよかった。加薬飯の名のとおり、ビタミンやミネラルが白米食よりははるかに豊富なので、ビタミンB1の欠乏による脚気(かっけ)の危険性が貴族より低かったのだ。

脚気は昭和にまで続く歴史の長い病気で、平安時代には鶴足と呼ばれた。肉がそぎ落ちて、ツルの足のように細くなるからだ。ビタミンB1の欠乏は脚気以外にも体のむくみや、多発性神経炎をもたらす。

ビタミンB1は米糠(こめぬか)や酵母の中に多く含まれるので精米すればするほど失われることになる。

それ以外にもビタミンB1が失われる原因がある。それは日本人が好む貝類の生食だ。ハマグリやアワビ、エビ、カニ、コイなどにはアノイリナーゼという酵素が含まれている。特にハマグリに多く、これがビタミンB1を破壊する。ワラビやゼンマイにもアノイリナーゼは含まれているが調理の際、加熱するとその働きは失活する。

ビタミンB1はインスタント食品などに頼らずに普通の食事をしていれば十分に摂取できる。

いよいよ地表が現れて、フキノトウやスイセンが芽吹いてくる。残雪が消えたころ、山野ではタラの芽をはじめ、さまざまな若芽が収穫できるようになる。

アワなどはインコの餌(えさ)としてお目にかかる程度で、古代の食材の大半は手に入れるのは難しいが、当時の加薬飯を想像して春の野草を味わいたいと思う。