『第390話』 打撲などに有効な樟脳

20年前、薬科大学の微生物学研究室が主催する恒例の卒業記念合宿が熱海にある大学の山荘で行われた。

早朝、教授の発案で散策に出ようということになった。

散策の途中で足を止めた教授は、傍らの木の枝から葉っぱをもぎちぎるとクシャクシャと手の中で丸めた。「ほら、楠(樟・クスノキ)だ。カンファーの香りがするだろう」。手渡された葉の香りに目を覚ました。それは、眠たさが感激で吹き飛んだ瞬間でもあった。薬学を学び、卒業を目前にして、自然の中に薬があることを再確認した喜びがその香りでよみがえった。

カンファーは医薬品、セルロイド、フィルムを作る原料になる。日本名は樟脳(しょうのう)だ。ちなみにクスノキは英語でカンファー・ツリーという。

楠は木へんに南の字のごとく南方系の常緑広葉樹で、伊豆地方がクスノキなどを含む照葉樹林帯の北限になる。直径5メートル以上、樹高30メートル以上の大木になるため、神社、寺院によく植えられた。日本書紀には、不朽性が高いことから船材としなさいということが書いてある。実際に弥生時代以前の遺跡から出土する丸木舟の2割がクスノキ製だ。

明治19年に発布した第一版日本薬局方から収載されていて、昔から使われていたことが分かる。その頃はクスノキの原木を細片として、水蒸気でこれを蒸して揮発させ、カンファーを含む水蒸気を冷却して得ていた。現在は合成品が主流だ。

製法からも分かる通り、カンファーは揮発性が高いので、これを含む医薬品は、缶などにしっかりと密閉して保存しないと効力がなくなる。

筋肉痛、ねん挫や打撲、皮膚掻痒症といった症状を緩和するためにハップ剤、軟膏剤、スプレー剤などにカンファーを加え、局所刺激、血行改善、消炎、鎮痛、鎮痒を目的として使う。

熱海名物の楠細工は、北限に近いために目が詰まり、その木目の美しさとともに防虫効果のある家具や文筥(ふばこ)として人気がある。