『第586話』 【色覚検査の全廃】特性自覚し社会適応を
小学生のころ、十分な説明もなく、訳の分からない図表を見せられ、カラフルな点の集合の中に浮かび上がる数字とカタカナを読まされた。その中に全く読めない点の集合があって、後に並んでいた同級生が「それは5だよ、なぜ読めないんだ」と馬鹿にした。しかし、読める彼の方が「色覚障害」だったのである。
今年から、小学校4年で実施してきた「石原色覚検査表」を使った健康診断が廃止される。その背景には、差別と、色覚に問題があっても祉会生活上困らないということがあるようだ。
ただ、同級生の彼は現在も、黒(緑)板に書かれた赤チョークは見えにくいし、信号機が赤なのか青(緑)なのか戸惑うときがあるという。彼は、信号機の色で判断するのではなく、1番右側の赤の位置が明るいか暗いかで判断している。この、赤と緑が判別できないことが多い。
「石原色覚検査表」は、1916年、陸軍軍医の石原忍が徴兵検査用に考案した。この検査はスクリーニング用として簡便かつ優秀で、これを超える感度のものはなく、世界で利用されている。確定診断は、アノマロスコープ検査で行う。
しかし、徴兵検査用ということから想像されるように、差別の根源ともなった。一般的に使われていた「色盲」という名称をやめ、「色覚異常」「色覚障害」「色覚特性」などの言葉を使うことが議論されている。
日本では、男性の20人に1人、女性の500人に1人の色覚特性が大きく異なる。この比率はAB型血液の割合に匹敵し、全国に約300万人いる。男性に多いのは、視物質遺伝子が性染色体上にあり、伴件劣性遺伝するためだが、実際にはもっと複雑だ。
色覚特性が異なる原因やその仕組みは、D
レベルで解明されている。そして、人それぞれで見ている色相が異なっていることもわかっている。しかし問題は、今のところ「色覚障害」を治療する方法がないことだ。従って、色覚特性が異なることを自覚して、社会適応していくしかない。色が氾濫(はんらん)している世情で、社会環境整備や対応が遅れていることは残念なことだ。
イギリスの物理学者ジョン・ダルトン(1766-1844)は自身と弟の色覚特性が母親と違うことに気付き、見え方の違いや女性に少ないことなど、色覚障害の特徴をほぼ明らかにした。そして、死後に眼球を保存して調べ、原因を解明するよう遺言を残した。150年後の1995年、遺伝子診断の力を借りて第二色覚障害であったことが判明した。