『第627話』 【北里柴三郎】予防衛生の重要性説く

 北里柴三郎生誕150周年を記念する展示会が国立科学博物館で開催された。n 北里は、明治に始まる近代医学の黎明期(れいめいき)に、その礎を作った医学者だ。細菌学や免疫学の先駆者だが、政治的手腕にもたけ、慶応大医学部、日本医学会、日本結核予防協会、恩賜財団済生会病院、日本医師会など、今なお公的な医療活動を続ける団体の創設に携わり、それぞれの初代医学部長、病院長、会長を務めた。n 中でも北里研究所は、ドイツのコッホ研究所、フランスのパスツール研究所と並んで世界三大微生物学研究所として有名だ。北里研究所では、赤痢菌発見者の志賀潔、梅毒治療薬のサルバルサン(赤色606号)を発見した秦佐八郎、そして、野口英世と世界的に著名な研究者たちがこぞって独自の研究に没頭した。n 北里が目指したのは、徹底した現場主義だった。そのため、研究成果が衛生行政と直結できる内務省管轄の伝染病研究所が、研究を主体とする文部省に移管されることに反対した。そして、信念を貫いて所長を辞し、福沢諭吉の援助を得て、私立の北里研究所を設立した。n その時、名だたる研究者から清掃担当の職員までが辞職して北里研究所に移った。その理由は、自我を滅して人のために尽くす北里の後ろ姿を追ったことにほかならない。n 医療はサービスと言われたことがある。さらに、自ら「サービス業です」という医療人まで現れた。サービス業というからには対価が前提にあるはずだ。n 982年に丹波康頼が書いた日本最古の医学書「医心方」には、「大慈惻隠(だいじそくいん)の心」で医を行えとある。人として、病人を助けるのは当然であり、仏教や儒教でいう「苦悩を共有し、思いはかる心」が必要であるという意味合いだ。n 貝原益軒は「養生訓」で、「医は仁術である」と明確に述べ、「自らの利養を専に志すべからず」とたしなめている。n 北里も演説草稿として書いた「医道論」の中で、「医は仁の術であり、人民に健康法を説いて身体の大切さを知らせ、病を未然に防ぐのが医道の基本である」と予防衛生の重要性を説き、その後に医は算術であってはならないという意味が厳しい言葉で綿々とつづられている。n 真の自由には自制心があることが忘れられ、無制限で無秩序な自由がはびこり、倫理観のない世界が広がろうとしているとき、医療人として自戒の念に駆られる学祖の展示会だった。n