『第631話』 【少彦名命神社】医薬の祖、薬の町見守る

 昨日、秋田市で薬業界の人々が集まり、年初めの神農祭が開かれた。日本における医薬の祖は大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)だ。n 古事記の神話「因幡の白兎(うさぎ)」では、ウサギがワニ(サメ)をだまして並ばせ、島へ渡ろうとして失敗。皮をはがれて泣いていたとき、大国主命が通り掛かり「真水で洗って、ガマの穂の綿にくるまって寝なさい」と、治療法を教える。これが、医薬の祖といわれるゆえんだ。n 少彦名命は、神産巣日神(かみむすびのかみ)の指の間から生まれ落ちたといわれるほど小さく、大国主命の兄弟となって協力し、国づくりに励んだ。大国主命は「大」、少彦名命は「小」の象徴で、後に一寸法師や竹取物語のモデルとなった。n この少彦名命を祭っている少彦名命神社が大阪・船場の道修町(どしょう)にある。ここは、日本屈指の薬の町だ。外国から長崎を経由して輸入された薬種原料(生薬になる草木草根)を鑑別し、品質検査をして、合格した生薬が全国に流通していった。江戸時代のシェアは90%、そのために現在も有名な製薬企業の立派な本社ビルが立ち並んでいる。そのはざまに、とても小さな少彦名命神社がひっそりとたたずんでいる。地元では「神農さん」と呼ばれ親しまれている。n 文政五(1822)年秋にコレラがはやった。道修町の薬種商たちが相談し、疫病除薬として虎頭(ことう)骨などを配合した虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきおうえん)という丸薬一粒を効能書きに包んで配った。これが縁となって、百獣の王であるトラの威を借りて邪気をはらう魔よけの象徴とし、「張り子の虎」のお腹に「薬」の文字を朱印し、ゴヨウザサにつるして、少彦名命神社の病よけのお守りとした。n 道修町は、適塾の緒方洪庵が大和屋吉兵衛の屋敷を借りて種痘所を開設した場所としても有名だ。医者であった洪庵でも種痘を行うときには必ず祭壇を設けて、少彦名命を祭ってから行ったという記録が残っている。n 科学が進歩した現代にあっても最後は神頼みになる。しかし、どんなに神や仏に祈っても、「生と死は常に表裏一体であることを悟れ」という答えが返ってくるのみだ。n 「人に尽くす」とは自分が生きたという証しを見いだす唯一の手段と思いつつ、県民の健康を祈った。n