『第565話』 【チフスのメアリー】健康な状態でも保菌者に
今月6日、40代女性が腸チフスに感染した。日本では、年間100人程度の罹(り)患者数で、非常に珍しい感染症になってしまった。しかし、戦前から戦後にかけては、毎年約50,000人の患者が発生していた。
腸チフスに似た感染症名に発疹(ほっしん)チフスがある。これはシラミが媒介するリケッチアによる感染症で、別の感染症だ。
チフスの語源はギリシャ語のチホス「意識朦朧(もうろう)」あるいは「ぼんやりした」という意味からきている。本来は、発疹チフスによる脳症状からきていたようだが、陽チフスも高熱が続いて意識障害がしばしば起こり、紀元前から混同されてそのまま使われてきた歴史がある。発疹チフスと腸チフスが区別されたのは1836年になってからのことだ。その後、腸チフス菌は1880年にエーベルトが発見している。
腸チフス菌はサルモネラ属。サルモネラ属にはブタコレラ菌、腸炎菌、パラチフスA菌などもある。このうち、チフス菌とパラチフスA菌が2類感染症に指定されていて、この2つの感染症は人に限って感染する。このため、感染源は患者及び保菌者の糞便(ふんべん)と尿で、これに汚染された食品及び水を介して感染する。自然感染例では、10~100個程度で感染するという報告がある。
腸チフスは、1~2週間の潜伏期に菌が血液に入り、40度前後の発熱をしてくる。消化器系感染症だが下痢は約20%で、約半数の患者が便秘になる。このほか、胸腹部に特徴的に現れるバラ疹、脾臓(ひぞう)の腫(は)れ、除脈を特徴とする。
パラチフス菌には、A菌、B菌、C菌があるが、B菌、C菌は症状が比較的軽く、腸チフス菌とパラチフスA菌以外のサルモネラ菌で起こる感染症は、サルモネラ症として取り扱われている。サルモネラ症の大部分は食中毒や急性腸炎の原因菌だ。
腸チフスに感染すると免疫が成立する。また、胆汁(たんじゅう)の中を好んで生息するため、健康な状態で胆のうに菌を持ち続ける健康保菌者になり、菌をまき散らすことがある。米国では1900年代に、料理人を生き甲斐(がい)としていた「チフスのメアリー」と後世呼ばれることになった女性が一生涯排菌を続け、公式感染者数53例、死亡3例の記録が有名だ。
現在は、ニューキノロン系抗菌剤やクロラムフェニコールで、速やかに完治が可能になった。