『第537話』 【アドレナリン】「エピネフリン」とは異なる

昨年12月14日、厚生労働省に少々変わった申し入れが行われている。

申し入れの内容は「エピネフリン」という名称を「アドレナリン」に変更してもらいたいというものだ。

「アドレナリン」は1900(明治33)年に、消化酵素タカジアスターゼの発見で知られる高峰譲吉が牛の副腎(じん)から結晶化して、翌年に米国で許可を得ている。「アドレナリン」の名称は副腎の英名に由来する。しかし、医薬品を収載した日本薬局方にその名はなく、「エピネフリン」の名で収載されている。

当時、動物の副腎をすりつぶして得られる抽出液に血管を収縮させる作用があり、止血や血圧上昇の効果があることが知られていた。手術時には、この抽出液を出血部位に滴下することで出血量を抑えることができた。しかし、純粋な物質ではないために不安定で、安心して使うことができなかった。

こうした背景により、副腎の抽出液から有効成分を分離して精製し、純粋な結晶を得る競争が展開されていた。ドイツのオットー・フェルトは豚の副腎から得られた成分に「スプラレニン」と命名した。また同時期、米国のジョン・エイベルは羊の副腎から得られた成分に「エピネフリン」と名付けたが、いずれも決定打とはならず、論争が続いていた。

「アドレナリン」発見の年、高峰の下に強力な助っ人が現れる。エフェドリンの発見者、長井長義教授の下で修業した上中啓三である。東大医学部薬学科で学んだ実験手法が役立ち、高峰の指示の下、約6カ月後に精製している。

「エピネフリン」は高峰らが精製した「アドレナリン」とはまったく異なる物質だ。しかし、実験結果を盗み取られたというエイベルの主張がゴシップを生み、アドレナリンの製法特許が切れると、「エピネフリン」の名称で医薬品が発売された。排日感情もあり、米国医学会は「アドレナリン」を禁句としてしまった。

今日、これが明らかに間違いであることは、上中の実験ノートが証明している。

海外において日本人の業績が認められるようになり、ノーベル賞受賞者も増えてきた。日本においても正当な評価が行われるよう期待したい。