『第522話』 【炭疽菌】感染すると黒褐色の痂皮
炭疽(たんそ)菌の学名は「バチルス・アンスラシス」という。アンスラとは石炭のこと。感染すると高熱を発し、5~7日で皮膚侵入部位に黒褐色の痂皮(かひ)が形成される。血液中などの組織内に入って敗血症を起こして死亡すると、全身の出血のために死体が黒く見えることからその名が付いた。
ローベルト・コッホが1876年に炭疽菌を発見し、翌年には牛の眼球液を用いて培養することに成功している。1881年には、ルイ・パスツールが42~43度で培養することで毒力を弱め、家畜用炭疽菌ワクチンの実用化に成功した。
感染症の約95%以上は皮膚の傷口から侵入して発症する皮膚炭疽だ。このほか、経口で起こる腸炭疽、肺で感染する肺炭疽がある。人に感染することはまれで、牛や馬といった草食動物の感染症と考えられている。日本では、年に1人が発症するかしないかといった程度。治療には抗生物質を使う。
炭疽菌は、土壌の中に生息している典型的な土壌菌で、長雨や洪水などの後に土壌中から表面に現れ、外気温で暖められて発芽、増殖していく。全世界の土壌中にいて、特にトルコからパキスタンまでは炭疽ベルトと呼ばれ、年間数百人の患者が発生している。
発芽と書いたが、実は細菌兵器として選ばれる要因がここにある。炭疽菌は生存できない環境に置かれると、これに耐えるために芽胞を形成する。芽胞とは、樹木の種、シダやキノコ類の胞子にあたるものだ。その芽胞は数十年あるいはそれよりも長く栄養が全くない状態で生命を維持することができる。そして、乾燥、熱、各種の消毒液に対する抵抗性が極めて強くなり、郵便物や貨物などを使って輸送中に菌をばらまくなど、感染範囲を広げるために有利な性質として働く。
こうして原稿を書いている合間にも、国および県から緊急医療体制の確保と感染症情報の提供方依頼、病原微生物や細菌毒素などの管理徹底強化、ワクチン・抗血清供給ルートの周知徹底と次々に具体的な対応策の通知を受けている。
日本では人用炭疽ワクチンが流通していない。また、新規ワクチン製造には数カ月かかる。ワクチン緊急輸入といった事態にならないことを祈りたい。