『第497話』 【考古学と疾病】DNA分析し、病変考察
今から約2,000年前(弥生時代後期)の頭がい骨に残された大脳などの一部が、鳥取県青谷町の青谷上寺地遺跡から初めて出土した。この遺跡は、卑弥呼が統一を図る直前の混乱した時代の特徴を残していて、戦乱で傷ついた多数の人骨が出土している。
脳から取り出したD
を他の民俗と比較することで、日本人のルーツを探る手掛かりとなる。ことによると、当時の生活習慣病などが分かるかもしれない。
既にこうした試みは、考古学の中で一般化している。最古の例は、米フロリダ州の泥炭地から出土したもの。7,000前のミイラ化した死がいから、取り出した脳組織のD
分析だ。
その結果、この脳の持ち主はアメリカンインディアンで日本人と同じ祖先を持っていることが分かった。しかし、こうした研究もまだ障害があり、昨年エジプトのツタンカーメン王のD
を調べようとした早稲田、名古屋両大による共同調査隊の計画は中止になっている。
考古学と医学の世界のつながりは深く、戦前の考古学者の20%は医師だった。そのために、梅毒の病変が骨に残っているかという論文が考古学雑誌に掲載された。感染症は人体にその足跡を残す。考古学調査結果を病理や公衆衛生学的な見地から考察することで、流行した時期や感染症の種類、まん延状況などが分かってくる。
ヨーロッパでは14~18世紀後半にかけて、断続的にペストが大流行した。アジアでは広がらなかったものの、中国甘粛省まで来ていたことは分かっている。シルクロードにある町々では、ヨーロッパから来る者は城壁内には入れなかった。水もなく、乾燥した気候で場外の者は干からびていった。これがアジアでペストがまん延しなかった理由の一つとされている。
マラリアが日本に入ってきたのは農耕が盛んになり、小動物とともに蚊が交じって来た弥生時代とされる。弥生人の脳からどのようなことが分かるのか、結果を待ちたい。