『第697話』 【原爆被害】60年後も癒えない傷跡

今日15日は60回目の終戦記念日。えとが一回りして元に戻るとされる還暦を迎え、当時の状況をさまざまな角度から検証する取り組みが行われている。また、今年は物理学者のアルバート・アインシュタインが特殊相対性理論など三編の革命的論文を発表してから百周年に当たることから、国際物理年とされ、物理学を含む科学が人類の平和に貢献したのかを再考する催しが行われている。

アインシュタインは、特殊相対性理論からE=mc2という結論にたどり着き、「何とシンブルで美しい」と感嘆したという。しかし、この方程式が悲劇の始まりだということには気が付かなかったことだろう。Eはエネルギー、mは質量、cは光の速さを示し、質量には、とてつもないエネルギーが蓄えられていることを示している。原爆の核分裂、水爆の核融合では元の質量が減り、これが膨大なエネルギーに変わる。

60年前の8月6日午前8時15分、世界中の人々はこの方程式が正しいことを認めることになった。8日には旧ソ連が対日宣戦を布告、9日に長崎へ原爆が投下された。14日にポツダム宣言を受諾、15日正午に玉音放送が流れた。昭和16年12月8日の真珠湾攻撃から3年8カ月、太平洋戦争は広島への原爆投下から10日間で終結し、戦後への転換期を迎えたのだった。

爆心地の広島では、救護人員が10日まで記録できないほど混乱していた。病院は壊滅状態、あらかじめ組織されていた救護班組織も壊滅した。広島市医師会では会員のうち60人が即死したが、生き残った会員が同市の歯科医師会や薬剤師会とともに救護活動に当たったことが「広島・長崎の原爆被害」(岩波書店刊)に記録されている。

熱傷を受けずに生き残った人々にも、やがて皮膚下に赤色の斑点が出て、鼻は血でふさがり、髪が抜けるといった放射線の影響が出始めた。オランダ軍医は、これを「疾病X」と呼んだ。60年が経過しても、がんなどに苦しんでいる人たちがいる。

「剣をとる者はみな、剣で滅びる」と新約聖書「マタイ福音書」にはある。人の心の中には、常に戦争に至る種が潜んでいることを再確認しておきたい。