『第747話』 【薬局の役割】「生」への精神支援重視

先日、福井県で日本薬剤師会学術大会が開催された。公開講座では、曹洞宗大本山永平寺貫首・同宗前管長で105歳になる宮崎奕保(えきほ)さんと、聖路加国際病院名誉院長で95歳の日野原重明さんが講演。続いて同宗大本山総持寺前貫首で現在は御誕生寺住職を務める79歳の板橋興宗さんと日野原さんの対談が行われた。

対談で板橋さんは「人は病気になるけれども病人になってはいけない」と言う。日野原さんは「医者も病人になってしまう。日ごろの診療では自分で脈を取っているのに病室のベッドに寝た途端、看護師に脈を取りますと言われるとスッと腕を出す。その心の在り方が問題だ」と指摘した。

また、板橋さんは「前立腺がんに侵されて手術を受けたが転移していたのが分かって治療をやめた。通常は亡くなってから変わる貫主を生きているうちに辞めたが、そういう例は私ぐらい」と語った。そして「生きている」ということについて、自分の手の甲をたたき「人はこんなとき『痛い』などと考えるからいけない。手の甲をたたいた瞬間だけが生きている証しだ」と述べた。一般の人では到達できない悟りの世界があるようだ。

これまでの医療は病気を治すことを目的としてきた一方、生をまっとうするための精神的支援を横目で見てきたところがある。75歳以上の「超高齢者」が増え、そうした面をもっと重視しなければならない時代を迎えた。病気を治すことだけが医療ではない。「あるがままを受け入れて生きよ」と言った105歳の宮崎さんの、生をまっとうしようとする姿を見ているだけで、命の価値が感じられた。

今年の4月に医療法が改正され、医療提供施設として「調剤を実施する薬局」が明記された。薬局が医療提供施設として認められるまでには紆余(うよ)曲折があったが薬局、また薬剤師の果たすべき役割が幅広くなってきている今、生をまっとうするための精神的支援として心を癒やすことなどにも貢献するため具体的な方法を考えなければならない。